2008年11月28日 (金)初ディレクターの記憶・・・
おはようございます。本日の当番、プロデューサーの角和です。
今回は、僕が初めてディレクターをさせてもらった際の、涙のエピソードを
お話したいと思います。
ある日、僕が所属していた部署の部長?から、部長室に来るようにとの
お達しがあり、緊張しつつ扉をノックして入室しました。
いつも厳しい部長ですが、今回はニコニコしながら開口いちばん『ネタと
条件は決まってるんやけど、ディレクターをやって欲しいんや!!
ええやろ!?!』との問いかけに、僕も何も考えずに
『勿論、やります!!』と二つ返事。
ところが、冒頭の「ネタ」と「条件」には、恐ろしい罠が隠されて
いたのでした。
「ネタ」とは、その会社で昔にヒットしたゲームの続編というお題目
でしたが、正直、そのゲームや同系統のゲームはあまり僕がプレイした事が
無いジャンルでした。
また、「条件」に関しては、もっと恐ろしいもので・・・それは、
―――開発期間6ヶ月間―――
まあ、当時の業務用ゲーム開発では、結構短期開発と言うものがあったん
ですが、初めてディレクターをする僕にそんな短期間のプロジェクトを
クリアできるのか??と、考えつつ持ち前の〝イージーさ〟で
『頑張らせて頂きます!』と答えて、部屋を後にしました。
大昔とは言え乗る方も乗る方だけど、そんな条件をつける方も如何な
ものかと思いますが、今考えてみるとラインナップの充実を図る為の戦略
だったのでしょうね・・・
しかし、そこからが大変。
開発期間もそんなに長く無いので、一日でも勿体無いと、その日じゅうに
関連各チームへ『僕のチームで○○なゲームを創るんだけど一緒にやって
みないか!!』と声をかけたところ、当時、僕がもっとも仲が良かった
プログラマーF君を中心に、入社以来腐れ縁の中堅女性背景デザイナー、
そして、女の子のキャラクタを描くのが大好きなキャラクターデザイナーの
3人が手を上げてくれました。
早速、二週間程かけてテキスト程度の企画草案を作成し、部長に持って
いったところ『これは続編とちゃうね・・・』と一刀両断。
ところが、『でも、まあまあ面白くなりそうだから、企画承認会議に
かけるんで、見切りでスタートしといて!』とのお言葉があり、何とか胸を
なでおろしチームへ報告。
これで方向性は決まり、チーム員全員、元ネタとなる機種と同ジャンルの
ゲームを研究しまくり、一気に最終までの仕様書を纏め上げました。
ここまでお話した時点で皆さんお気づきかもしれませんが、初めて
ディレクターをする際に誰もが陥りがちな問題に直面。
そうです。スタッフ一同も気づかぬ振りをしつつ、一気に書き上げた
仕様書は、僕たちに残された4.5ヶ月の期間では到底クリアできない
ボリュームになってしまっていたのです。
・・・最低でもキャラクターデザイナーがあと2人は必要である事と、全体
ボリュームを3分の2程度まで落とさないと、誰が考えても更に2ヶ月間は
かかるだろう仕様書でした。
再び部長室の扉を叩き、開発期間をもう少し延ばしてもらえないか相談
したところ、今度は怖い顔で
『あかんに決まってるやん!既に販売スケジュールも
全社的に告知したから、何とかせい!!』
とやっぱり一刀両断。
結局、まずは登場キャラクターを減らし、丁度入社して来たその年の新入
社員を引き込み、何とかチームと言える人数に増強してギリギリの線の
スケジュールの立て直しを敢行。
幸いその際に引き入れた新入社員の1人が、人や動物のアクションを分析
するのが得意だったので、思いのほかスケジュールが順調に進み、僕の
パートもかなりやってもらいました。
※当時僕はキャラクターデザイナーも兼ねていました
何を隠そう、その時の新人こそが、実は今でもアクセスゲームズで一緒に
開発をしている、ディレクターの〝富田〟その人なのです。
勿論、前作同様お約束で、僕も富田も当然のように自分で描いた
キャラクターのボイスを演じ、面白おかしく開発が終了できた事は
いうまでもありません。
※僕だけが喜んでやっていたと言う話も聞きますが・・・
大変ではありましたが、それなりに楽しく開発できたこの機種は、
大ヒットこそしなかったものの、短期開発の割にロケテストではそこそこの
インカムが取れて目標販売台数をクリアした事、そして「武○○闘」の
はしりだったり「フィニッシュ時の効果背景スクロール」や2Dハード
なのに「3D風パース変化」等々、恐らくこのゲームが初めてでは無いかと
思われるアイデアが幾つも盛り込めたので、初ディレクションの仕事としては
何とかミッションコンプリート出来たのではないかと、自負しています。
あっ、それから、僕はこのプロジェクト最中にめでたく?結婚しまして、
チーム員たちの非難を浴びつつも十日間ほどチームをF君に任せて旅行に
行きました。
開発終了までの間は、週一程度でしか帰宅が許されない、涙の「合宿生活」が
続いたのは言うまでもありません。
この機種に関しての思い出は初ディレクションだっただけに、まだまだ
あるのですが、長くなりそうなのでまたいつかお話したいと思います。
ではでは。
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