2009年11月 2日 (月)初 3Dゲーム開発開始!!
おはようございます。
本日の当番、プロデューサーの角和です。
前回の終わりに触れましたが、まだ2Dが全盛の社内で、ディレクター2作目にして3Dのハードが使えるという話になった事を書きましたが、今回はそのさわりの部分をお話をしたいと思います。
そもそも当時のアーケードゲームは、プロジェクト毎にハードウェアを設計することが多く、さらに今回は設計中の3Dチップを採用するという事で、最初に渡されたハードは予定のポリゴン表示数を大幅に下回り、1フレームあたり1000ポリゴンに満たないといった、今では考えられないスペックでした。
まずは、暫定的に奥行きを企画の3分の1程度に抑える等して、研究開発を繰り返して行きました。
3Dゲーム開発の第一歩としては、まずまずの走りだしで、小躍りした記憶があります。
ちょっとずつ進化したバージョンのハードとの交換が何度かあり、その都度プログラマーはベンチマークを計測していましたが、ある日、深刻な顔をしてミーティングの依頼がありました。
ミーティングルームに設置されているハードは、プログラマー曰く、「ほぼ完成品に近い3Dチップです・・・」との事。
そこに映っていたのは、かなりローポリゴン化したキャラクターと背景のモデルでした。
現状のままのデザイン仕様ではエネミーが1~2体しか出せない計算となり、さあ、そこからが大変!
一旦、デザイン仕様の面から解決法を検討したのですが、そもそもの3Dモデル制作手法がポリゴン形状である程度のシルエットを作る作業スケジュールで組んでいたものですから、それをテクスチャでの再現にするには、スタッフ数が足りない・・・
とは言え、基本的に考えていたゲーム性が、同時にエネミー数をそれなりに登場させる必要がある物だった為、なんとかして表示出来るようにしないと、プロジェクトが“また中止”になってしまう!!
※ちょっとしたトラウマに・・・
数日間、プログラマーとデザイナー、そして僕の3人で打開策を見出す為のミーティングが続きました。
そんなある日、別のチームのちょっと変わったデザイナーN君が、「プロジェクトが頓挫しちゃったんで、遊びに来ましたですぅ・・・」と開発室内をゾンビの様にうろついているのを見て、「おっ!!その手があったか」と、打開策を思いついたのです。
さあ、どんな手法を思い付いたのでしょうか?
諸事情により、ちょっと今回はあっさり気味で、終わらせて頂きます。
それは、次回をお楽しみに。
ではでは。
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