プロデューサー

2010年1月25日 (月)

ちょっと変わったキャラクター制作技法

おはようございます。本日の当番、プロデューサーの角和です。

前回は、僕の初めての3Dハードによるゲーム開発について、立ち上げ早々の頃を
お話ししましたが、初めての事に取り組む時には何かと問題がつきものです。
今回から、初の3Dゲーム開発時の出来事をお話ししたいと思います。

当時の僕の周りでは、まだ「ドット絵」と呼ばれる手法でキャラクター画像制作を
行っていました。
ペンタブレットを使い、今でいうところの「1ピクセル」づつ色を置いて行く事で、アクションの1パターン(ポーズ)を完成させます。
また、今では当たり前ですが、キャラクター画像制作に使えそうな写真や映像がある場合は、スキャナー等で取り込んだ後にそれらを加工し、キャラクターデーターへ
仕上げる手法もこの頃から可能になってきました。

一方、3Dキャラクターはと言うと、既に他社から幾つかの3Dゲームが発売されていましたが、僕の所属していた会社ではそれらをどの様に制作するのかの情報が少なく、社内で3Dの事に詳しい人と片っぱしからレクチャーしてもらったり、各種業界セミナーに参加して「おそらくこの3Dツールが良さそう・・・」という物を選択したのを記憶しています。
※現在のアクセスゲームズでも、その後継となる3Dツールを使用しています

 
で、今回そのツールでハード検証用3Dモデルを作成していたのですが、前回お話ししたとおり、3Dハードのスペックの読みが甘く、目標のエネミー体数を出すにはどうすれば良いかとアイデア出しを続けていたそんなある日、デザイナーN君がふらっと立ち寄ってくれ、彼が所属するプロジェクトで研究していたキャラクター制作技法を思い出し、「暇だったら、ちょっと、詳しく話を聞かせろ!」と拉致し、結果的にはその技法を応用して制作する事に決めました。

その後、半ば強引にN君は僕のチームに引き込む事に!
勿論、
研究期間短縮の為に、彼が元いたプロジェクトで使っていた機材一式とともにね!!
具体的な技法については、聞く人が聞くと何のゲームかが分かってしまうので、ご了承を・・・イメージとしては、「デジタルなんだけど、アナログでアナクロ(死語?)なあやしい技法」みたいな感じで、実は当時の業務用ゲームの幾つかはそれに近い技法で作られている物もありました。

かくして、そのキャラクター制作技法のノウハウを更に蓄積していき、まずは簡単なシミュレーション映像を作ったところ、予想以上におもしろい?!感じに仕上がりました。

 
こっ・・・これなら行けるぞ!!

 
僕は、その映像からヒットの兆しを感じ、その足で開発部本部長の部屋にプレゼンしに行きました、開発予算をいっぱい貰う為にね。

とは言え、この変則的な制作方法は、社内のいろんな人から不安視する声も結構あり障害はあったものの、当時の開発部本部長からや別の部署の監督からも「じぶん(大阪弁で君の意味)おもしろい事考えるなぁ、今まで通りでやっていても目立たへんので、周りから反対されても自分が良いと思った事なんだから、押し通せゃ!と言った言葉に勇気付けられて、この後も様々な問題にぶち当たる事になるこのプロジェクトを、最後までやりきる事ができました。

 
さて、何とか「本開発」のスタートを切った訳ですが、上記のとおり、この後に起こる様々な問題に関しては、次回にお話しさせていただきたいと思います。

ではでは。

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2010年1月 4日 (月)

新年

皆さん、新年あけましておめでとうございます。
アクセスゲームズの角和です。

昨年は格別のお引立てを賜り厚く御礼申し上げます。
年末年始はゆっくり静養されたことと存じます。

昨年は弊社開発のPSPタイトルを、3月・4月と立て続けに発売する事ができました。一年間に2本のタイトルを発売できたのは快挙であり、これも一重に皆さんのご協力及び多大なご声援のおかげと、深く感謝しております。

一方、ゲーム業界では、世界規模で見ると不況の波の脱出口をようやく見つけつつ、幾つかの大ヒット商品が目立ちはするものの、日本国内においてはまだまだこれからと言った感じです。

アクセスゲームズとしましては、STAFF一同、一致団結して現在開発中のプロジェクトを大成功させると共に、新しいプロジェクトを立ち上げ、全世界に挑戦し続けて行きますので、本年も変わらぬご支援・ご声援を頂きます様、よろしくお願いいたします。

                    2010年1月元旦 寅年
株式会社アクセスゲームズ
プロデューサー 角和 邦昭

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2009年11月 2日 (月)

初 3Dゲーム開発開始!!

おはようございます。
本日の当番、プロデューサーの角和です。

前回の終わりに触れましたが、まだ2Dが全盛の社内で、ディレクター2作目にして3Dのハードが使えるという話になった事を書きましたが、今回はそのさわりの部分をお話をしたいと思います。

そもそも当時のアーケードゲームは、プロジェクト毎にハードウェアを設計することが多く、さらに今回は設計中の3Dチップを採用するという事で、最初に渡されたハードは予定のポリゴン表示数を大幅に下回り、1フレームあたり1000ポリゴンに満たないといった、今では考えられないスペックでした。

まずは、暫定的に奥行きを企画の3分の1程度に抑える等して、研究開発を繰り返して行きました。

3Dゲーム開発の第一歩としては、まずまずの走りだしで、小躍りした記憶があります。

ちょっとずつ進化したバージョンのハードとの交換が何度かあり、その都度プログラマーはベンチマークを計測していましたが、ある日、深刻な顔をしてミーティングの依頼がありました。

ミーティングルームに設置されているハードは、プログラマー曰く、「ほぼ完成品に近い3Dチップです・・・」との事。
そこに映っていたのは、かなりローポリゴン化したキャラクターと背景のモデルでした。

現状のままのデザイン仕様ではエネミーが1~2体しか出せない計算となり、さあ、そこからが大変!

一旦、デザイン仕様の面から解決法を検討したのですが、そもそもの3Dモデル制作手法がポリゴン形状である程度のシルエットを作る作業スケジュールで組んでいたものですから、それをテクスチャでの再現にするには、スタッフ数が足りない・・・

とは言え、基本的に考えていたゲーム性が、同時にエネミー数をそれなりに登場させる必要がある物だった為、なんとかして表示出来るようにしないと、プロジェクトが“また中止”になってしまう!!
※ちょっとしたトラウマに・・・


数日間、プログラマーとデザイナー、そして僕の3人で打開策を見出す為のミーティングが続きました。
そんなある日、別のチームのちょっと変わったデザイナーN君が、「プロジェクトが頓挫しちゃったんで、遊びに来ましたですぅ・・・」と開発室内をゾンビの様にうろついているのを見て、「おっ!!その手があったか」と、打開策を思いついたのです。

さあ、どんな手法を思い付いたのでしょうか?

諸事情により、ちょっと今回はあっさり気味で、終わらせて頂きます。
それは、次回をお楽しみに。

ではでは。

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2009年8月17日 (月)

ディレクター2作目の悲劇!!

おはようございます。本日の当番、プロデューサーの角和です。

早いもので、これまで書いてきました僕の『ゲーム開発ヒストリー・ディレクター編』?に突入しまして、前回は、私が初めてディレクター職に就いた際の事を書かせていただきましたが、今回もその後の頃のお話をしたいと思います。

念願かなって、とあるゲームで初ディレクター経験を経て、意気揚々とプログラマF君と次回作の構想を練り始めたのですが、時を同じくして、新規開拓として業務用筺体型ゲーム開発部署が設立され、運良く僕らはその部署に配属となりました。

その頃はまだ各メーカー共、限られたタイトルでしか3Dハードが使えない時代で、多分に洩れず僕達のプロジェクトでは2Dハードでの開発でした。

ところが、その頃3DCGに『どっぷり』魅了されてしまっていた僕達はと言うと、若気の至りと言うかハードの事などお構い無しに、3D空間を使ったドッグファイト・シューティングの企画書作成を夢中になって推し進める事に・・・。

下記に、当時の記憶を頼りに、2Dハードで3Dゲームを作る際に行ったパターン計算を記載します。
※この文章を書いていた際、横で見ていたデザイナーU君が、「いまどきのユーザーはパターンって言われてもわかんないッスよ」と指摘されたので、補足しますが、昔のハードは2Dで描かれたの連番画像をパラパラアニメの様に再生して、キャラクタの向きやポーズを変えていました。


●戦闘機(一機体)パターン計算

①正面から見た回転(Y軸回転)を32パターン

②ループ(つまりX軸回転)を32パターン

③総パターンとしては、「①」の各方向×「②」のループ
 ⇒1024パターン

④機種によっては可変翼のアニメーションとして「③」×パターン分



・・・どうです、当時の僕はこの天文学的数のデータを作成しようと、真面目に仕様作成を行っていたわけですが、今考えるとその純真さに泣けてきますね。

また、プレイヤー機及び敵機(AI)の挙動の仕様と、今では3D配置ツールを使って行う、敵セット(配置)に関してもチョー原始的な、クオータービュー専用グラフ用紙に手書きと戦闘機画像の切り張りで、コツコツと作成した事を覚えています。
※当時は何故かPCで仕様書を書くと言う発想自体がなく、ワープロ(死語?)で打ったテキストを切り張りをするという方法止まりだったと思います。

企画書を作り始めて、丁度チューブファイル一冊分位まで書きためた段階で、前作のプログラマーF君がわけあって別のプロジェクトに引っ越す事となり、僕のチームには別の先輩プログラマーが合流してくる予定となりました。

そんなある日の事。

その先輩が近づいてきて、「どんな仕様で作ろうと思ってるの?」という話になったので、「よし!」とばかりに仕様書を見ながら説明したところ、遠くの空を見つめて「これ、3Dやん・・・大変そうやな・・・と言うより・・・なんとかなれば良いんやけど・・・」と。

おいおい、今更そりゃ無いッスよ、先輩!!


・・・皆さんお察しの通り、このプロジェクトは程なくして、中止となりました。


でも人生悪いことばかりではありません。
ディレクター2作目にしていきなりプロジェクト中止を味わい、傷心の日々を送ってた僕に、ある日、朗報が飛び込んで来たのです。

それは、今までのハードと比較して、数分の一のチップ単価でテクスチャ付きポリゴン(くぅー・・・懐かしい響き)を表示できる新ハードが使える事になるが、挑戦してみるか?!と当時の所属長からのご提案。

この、歴史的ハードとの出会いに、またまた皆さんお察しの通り、『勿論、やります!!』と二つ返事をしている僕がいたのは、言うまでもありません。


この日、僕のゲームデザイナー人生で、3D時代の幕開けになる・・・はずの一日だったのですが、世の中そんなに甘い話は無いものですね・・・ホント。

さて、どんな困難が待ち受けていたのか?この続きのお話は、次回当番の時に話したいと思います。
※また困難かい!!

ではでは。

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2009年6月 5日 (金)

E3シーズン到来!

ご無沙汰しております。本日の当番、プロデューサーの角和です。
前回の当番が、ちょうど『GDC2009』の出張と重なってしまい、
お休みにさせていただきました。

さて、時が立つのは早いもので、ついこの間の3月に『GDC』を視察してきましたが、現在、ロサンゼルスのコンベンションセンターで行われている『E3 2009』の視察の為、ディレクターSWERY他数名が、渡米しています。

思い起こせば、「まだ、ちっぽけな会社だけど、世界の市場も見ておかねば!」と考え、手探りで視察計画を立てて何とか入場手配までして敢行(観光ちゃうで)したのがアクセスゲームズを立ち上げた2002年の事。

ふと、最後に視察したE3の状況を見てみようと、自社サイトの『イベントレポート』をクリックしたところ、E3のレポートが見当たらないではありませんか・・・

そうです、2006年のE3ではPS3やWiiの発表とサプライズ満載だったにも関わらず、突如2007年の規模縮小が発表され、海外の視察を他のゲームショーに切り替えた年に、イベントレポートを始めたからでした。

E3も紆余曲折あった様ですが、今回は晴れて規模を拡大しての実施となり、不況であえいでいる北米において、きっと、ゲーム業界が一番乗りで活気を取り戻してくれるのではないかと、期待しています。

今回は、「あの携帯ゲーム機の新型」「あの据え置き機の新型コントローラー」の発表があると噂されていましたが、E3も三日目に突入して、各種最新情報をがネットに流れていますね。

どうです、皆さんの予想通りだったでしょうか?

アクセスゲームズでもSWERY達からの最新情報が、続々到着しています。
今回の規模について、全盛期の7割程度回復とネットでは書かれていますが、彼らからの情報によると体感的には5割程度との事、もちろん規模はさておき発表されている物はどれも刺激的な内容ばかりです。

また、各種新機軸が導入されゲームのスタイルが増える事で、開発者としてはいろんなアイデアが湧き出て、僕のアイデアメモも、どんどん貯まってきています!!

そうそう、アイデアは、ふとした拍子に浮かぶものです。

会社でならテキストにメモし即保存しますが、困るのが自宅でお風呂に入っている時やベッドに横になった際に浮かんだアイデアの扱いです。

昔はメモを取りに行くのが面倒で、朝起きたら忘れてしまっていて、思い出せずに悶々とした気持ちになったものですが、今では、携帯メールで社用アドレスに送信しています。
・・・面倒くさがりな僕も、会社メールであれば毎日チェックしますので。
※出先で見聞きした、忘れてはならないちょっとした事を、とりあえず会社のメールに送ると言う手は結構使えます、いやほんと!

一言アイデア程度であれば、件名にチャチャッと打ち込んで送信し、後日それらを合体させばアイデアメモが完成です。
ほんと、いい時代になりました。
※商品として完成させるのは、今も変わらず大変ですが・・・

来週には実際に触ってきた視察者も帰国しますので、体感してきた情報を、根掘り葉掘り聞きだす事で、更にアイデアを膨らむのではないかと、今から楽しみです。

イベントレポートが出来上がりましたら、また掲示させていただけるのではないかと思いますので、その際には皆さんもぜひ見に来て下さいね。

それでは、今回はこの位で失礼しようと思いますが、一応、次回の予告などを。

次回予告

『ディレクター2作目の悲劇!!』

乞うご期待♪

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2009年1月 5日 (月)

新年

明けましておめでとうございます。
アクセスゲームズの角和です。

旧年中は格別なご高配を賜り、まことに有難く厚く御礼申し上げます。

年頭にあたり一言ご挨拶申し上げます。

 
我々アクセスゲームズがめでたく新春を迎えられましたのも、
ひとえにゲームユーザーの皆さんによるものと深く感謝致しております。

昨年の10月には、Wii用ゲームソフトスカイ・クロラ イノセン・テイセスが発売されましたが、今年もどんどん新作を発表して行きたいと思います。
皆さんが「あっ!」と驚くようなタイトルばかりを用意していますので、発表される日を楽しみに、しばらくお待ちください。

世間は不況だなんだと大変な状況ではありますが、今年もアクセスゲームズSTAFF一同は一致団結しまして、ゲームファンの皆さんに楽しいゲームライフをお送りする為に、日夜突き進んでまいりますので、ご声援・ご支援を頂きます様、よろしくお願いいたします。

                    2009年1月元旦 丑年
株式会社アクセスゲームズ
プロデューサー 角和 邦昭

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2008年11月28日 (金)

初ディレクターの記憶・・・

おはようございます。本日の当番、プロデューサーの角和です。

今回は、僕が初めてディレクターをさせてもらった際の、涙のエピソードを
お話したいと思います。

ある日、僕が所属していた部署の部長?から、部長室に来るようにとの
お達しがあり、緊張しつつ扉をノックして入室しました。

いつも厳しい部長ですが、今回はニコニコしながら開口いちばん『ネタと
条件は決まってるんやけど、ディレクターをやって欲しいんや!!
ええやろ!?!』
との問いかけに、僕も何も考えずに
『勿論、やります!!』
と二つ返事。

ところが、冒頭の「ネタ」と「条件」には、恐ろしい罠が隠されて
いたのでした。

「ネタ」とは、その会社で昔にヒットしたゲームの続編というお題目
でしたが、正直、そのゲームや同系統のゲームはあまり僕がプレイした事が
無いジャンルでした。
また、「条件」に関しては、もっと恐ろしいもので・・・それは、

         ―――開発期間6ヶ月間―――

まあ、当時の業務用ゲーム開発では、結構短期開発と言うものがあったん
ですが、初めてディレクターをする僕にそんな短期間のプロジェクトを
クリアできるのか??と、考えつつ持ち前の〝イージーさ〟で
『頑張らせて頂きます!』
と答えて、部屋を後にしました。
大昔とは言え乗る方も乗る方だけど、そんな条件をつける方も如何な
ものかと思いますが、今考えてみるとラインナップの充実を図る為の戦略
だったのでしょうね・・・

しかし、そこからが大変。
開発期間もそんなに長く無いので、一日でも勿体無いと、その日じゅうに
関連各チームへ『僕のチームで○○なゲームを創るんだけど一緒にやって
みないか!!』
と声をかけたところ、当時、僕がもっとも仲が良かった
プログラマーF君
を中心に、入社以来腐れ縁の中堅女性背景デザイナー
そして、女の子のキャラクタを描くのが大好きなキャラクターデザイナー
3人が手を上げてくれました。

早速、二週間程かけてテキスト程度の企画草案を作成し、部長に持って
いったところ『これは続編とちゃうね・・・』と一刀両断。

ところが、『でも、まあまあ面白くなりそうだから、企画承認会議に
かけるんで、見切りでスタートしといて!』
とのお言葉があり、何とか胸を
なでおろしチームへ報告。
これで方向性は決まり、チーム員全員、元ネタとなる機種と同ジャンルの
ゲームを研究しまくり、一気に最終までの仕様書を纏め上げました。

ここまでお話した時点で皆さんお気づきかもしれませんが、初めて
ディレクターをする際に誰もが陥りがちな問題に直面。
そうです。スタッフ一同も気づかぬ振りをしつつ、一気に書き上げた
仕様書は、僕たちに残された4.5ヶ月の期間では到底クリアできない
ボリュームになってしまっていたのです。
・・・最低でもキャラクターデザイナーがあと2人は必要である事と、全体
ボリュームを3分の2程度まで落とさないと、誰が考えても更に2ヶ月間は
かかるだろう仕様書でした。

再び部長室の扉を叩き、開発期間をもう少し延ばしてもらえないか相談
したところ、今度は怖い顔で

『あかんに決まってるやん!既に販売スケジュールも
全社的に告知したから、何とかせい!!』

とやっぱり一刀両断。

結局、まずは登場キャラクターを減らし、丁度入社して来たその年の新入
社員を引き込み、何とかチームと言える人数に増強してギリギリの線の
スケジュールの立て直しを敢行。
幸いその際に引き入れた新入社員の1人が、人や動物のアクションを分析
するのが得意だったので、思いのほかスケジュールが順調に進み、僕の
パートもかなりやってもらいました。
※当時僕はキャラクターデザイナーも兼ねていました

何を隠そう、その時の新人こそが、実は今でもアクセスゲームズで一緒に
開発をしている、ディレクターの〝富田〟その人なのです。

勿論、前作同様お約束で、僕も富田も当然のように自分で描いた
キャラクターのボイスを演じ、面白おかしく開発が終了できた事は
いうまでもありません。
※僕だけが喜んでやっていたと言う話も聞きますが・・・

大変ではありましたが、それなりに楽しく開発できたこの機種は、
大ヒットこそしなかったものの、短期開発の割にロケテストではそこそこの
インカムが取れて目標販売台数をクリアした事、そして「武○○闘」の
はしりだったり「フィニッシュ時の効果背景スクロール」や2Dハード
なのに「3D風パース変化」等々、恐らくこのゲームが初めてでは無いかと
思われるアイデアが幾つも盛り込めたので、初ディレクションの仕事としては
何とかミッションコンプリート出来たのではないかと、自負しています。

あっ、それから、僕はこのプロジェクト最中にめでたく?結婚しまして、
チーム員たちの非難を浴びつつも十日間ほどチームをF君に任せて旅行に
行きました。
開発終了までの間は、週一程度でしか帰宅が許されない、涙の「合宿生活」が
続いたのは言うまでもありません。

この機種に関しての思い出は初ディレクションだっただけに、まだまだ
あるのですが、長くなりそうなのでまたいつかお話したいと思います。

ではでは。

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2008年9月29日 (月)

昔のキャラクターボイスは・・・

おはようございます。本日の当番、プロデューサーの角和です。

前回の次回予告では、私が初めてディレクター職に就いた際の事を予告していましたが、ディレクターをやる直前に開発したゲームのちょっと変わったエピソードを書き忘れていましたので、そちらのお話をしたいと思います。

それは、当時プランナー兼デザイナーの僕が、自分の開発するゲームに登場するキャラクターのボイスをやらせてもらえた、と、言うか、やらないといけなくなった・・・という体験談です。

当時、ゲーム内で使うボイスは、あまり費用をかけないパターンが多く、殆どがサウンド開発者が付き合いのある劇団の、それほど有名ではない役者さんにお願いしていました。
※劇団員さんの良い収入源になっていたと聞いています

しかし、今回のゲームでは、主人公を含むキャラクターがアニメチックであったので、当時のディレクター意向により、キャラクターはボイスもきちんとした声優さんを起用しようと決まりました。
そして、キャラクターイメージに合う声優さん候補を幾つかあげて、各種プロダクションに見積もりを依頼しました。
数日後、サウンド担当者より見積もりが出揃った報告があり、その金額を見て一同びっくり!!

そもそも、本格的な声優さんに依頼した事がなく、ギャラの相場自体知らなかった私たちにはそれはもう、驚愕の費用でした。
※今では、ゲームデモにプロの声優さんを起用するのは当たり前で、驚く開発者はいないと思いますが・・・

とは言え今回はプロの声優を使おうと決めていたので、一同気を取り直し、詳細を確認していくと、第一候補と第二候補以下に挙げていた方のギャラとの差が〝3倍〟以上もありました。
「さすがにこれは何かの間違いではないのか?」と、再度、プロダクションに見積もりを依頼。

再見積もりを取った結果、やはり前回と同様の金額だったので、何故こんなに高いのかと確認したところ、なんと「第一候補の方は、アニメがきっかけで本人自身がTVに出演したりしており、ギャラが跳ね上がっているんですよ」
との回答・・・TV業界恐るべし!!

サウンド担当者からも、「それでなくてもサウンド開発予算は少ないのに、もしその声優を使う場合、殆ど予算がなくなりBGMやSEにお金をかける事が出来なくなりますよ」と説得され、ディレクターはしぶしぶ第二候補の声優さんと契約する事となりました。
それでも、その会社では初の「アニメ声優起用」と言う事で、それ以降のゲームでもプロの声優を使うようになりましたので、良いきっかけだったと思います
※因みに僕は第二候補の方の出演作品の方が好きだったので、心の中では小躍りした事を覚えています

勿論、開発スタッフという事で私がその声優さんのボイス収録にも同席させてもらった事は言うまでもありません。

・・・で、いつ、自分がキャラクターのボイスをする事になった話になるのか?ですが・・・
主人公は何とかプロの声優さんで収録したものの、それでも当時のサウンド開発予算のかなりの金額を使ってしまった為、結局、もう一人の声優さんの費用を捻出するのは厳しいと言う話になり、ディレクターから「じゃあ、主人公以外は社内スタッフでやろう!」の一言で、キャラクターのボイスをする事になりました。

近年、現行の家庭用ゲーム機に移植されているのを知人に教えられ、一応記念に購入し、聞きなおしてみましたが、まったくお粗末な演技?で、今考えると良く会社も許したな!?と思います。

・・・勿論、恥ずかしくて家族にも聞かせていませんです、ハイ。

長々と書いてきましたが、いよいよ次回こそは本当に、僕が始めてディレクターをさせてもらった際の涙のエピソードをお話したいと思いますので、興味ある人もない人も次回当番をお待ちください。

ではでは。

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2008年8月 1日 (金)

ネットと携帯の進化について

おはようございます。本日の当番、プロデューサーの角和です。

前回までは、僕のゲーム人生を赤裸々?に書いてきましたが、今回は息抜きと
言う事でちょっと趣向を変えて、ネットとメールの進化について書きたいと
思います。

僕が、初めてPCのネットワークを使ったのは、ゲーム業界に入って数年目の頃
(20年位前?)だったと思います。
それまでは、何でも書類は紙でやり取りし、メールも無かったのでもっぱら
電話でのやり取りが主流でした。

最初は、「M○c」でのネットワーク環境で、うろ覚えですがその会社の
内製メーラーだったと思います。
※ちなみに「M○c」が選ばれたのは、「おじさん達でも使えるから」と
 言う理由らしい

社内のネットワークでは、それまで紙で行っていた書類関係が、徐々に
デジタル化されていき、慣れていない人は良く間違って、書きかけの書類が
送信してしまい、ギクシャクしたのを覚えています。

程なくして、一般でもPCでのメール時代が到来。
ぼちぼち友達との間でメールが飛び交うようになって来ました。

ただ、その頃はまだ電話回線を使っての通信で、前回も登場したチーフ
デザイナーのUさんは、まだ走りだったネットゲームにハマってしまい、
電話代の請求が一ヶ月になんと50万円程の請求が来たと騒いでいました。
かく言う僕も、ISDNでの接続期間が長かったので、何度か10万円前後の
請求が届いてしまい、貯金をおろして支払った事があります。
※しかも今から考えると、超遅でした・・・

さて、それから数年後、初めて携帯電話にメール機能がついた時の事です。
・・・って、これも今では考えられないですよね、携帯にメールがついて
いなかった時代があるなんて。

当時、既に携帯を持っていた僕は、携帯でインターネットやメールが使える
サービスが始まると言う事で、我慢できずに即飛びつきました。
そして、翌日丁度、急ぎでマスター候補ROMをメーカー承認の為に提出
しないといけないという仕事で、一路ハンドキャリーで東京へ。

ギリギリのフライトだったので、その頃会社では遅れずに着いているかの
確認の為に、電話がかかってきましたが、うれしくて、メールで到着した旨を
知らせようと思い、これまた慣れない手つきで本文を書き上げ、そして、
送信!・・・ところが、「送信できませんでした。」のメッセージ!!

そう、空港からの移動中、トンネルの中で送信してしまったので、何度
送っても送信できない始末。
※これは今でも同じですが、初めての携帯からのメールだったので、
 ついテンパってしまって・・・
結局、断念して、通話で到着報告をし、無事ROMを納入後、会社に残っていた
スタッフとメールでやり取りしながら、帰路に着きました。

今では、簡単に写真や画像を貼り付けたり(当時は、写真なんて
撮れなかったし、そもそもモノクロ3階調?)、絵文字なんかも使えて、
ある意味PCメールよりも進化してしまいましたね。

時代は変わり、光接続の普及によりデータ通信速度も劇的に進化。
おかげで、承認ROMも殆どがFTPサーバによる提出に変わり、ハンド
キャリーによる緊迫感も少なくなりました。

そんな事を思い出していたところ、つい先日、社内のネットワーク担当者より
「あるきっかけ」のタイミングで、100メガ光接続からギガ光接続に変更
したいという計画が僕の手元に届きました。

今、アクセスゲームズではネットワークの強化が着々と進んでいます。

それでは「あるきっかけ」とは、何か?!

これに関しては、近々皆さんに報告させていただける予定ですので、
お楽しみに。

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2008年6月 6日 (金)

シューティング三昧の日々・・・そして

おはようございます。本日の当番、プロデューサーの角和です。

前回は私の初の商品開発時に紆余曲折だった事をお話しましたが、
今回は、その後に開発した2つのタイトルにまつわるエピソードを
書きたいと思います。

前作の開発資料の整理も完了し、次機種の企画開発(当時は、企画仕様書を
殆ど作らず、企画を考えながらデザイン業務も平行して行うという
スタイルでした)を行っていたある日、所属していた課のチーフ
プログラマーとチーフデザイナーのUさんが、口論をし始めたでは
ないですか!
実はUさん、社内でもちょっと有名な気の強い方で、気が付くと周りの
開発員たちが、まるで蜘蛛の子を散らすかのごとく、いなくなって
いる事に気づきました。

翌日、出社時間になっても現れないUさん。
気になって自宅に電話をかけてみたところ、留守番電話になっており、
なんとも恐ろしいメッセージが流れて来るではありませんか!

しばらく旅に出ます。探さないでください。ピ~ッ」・・・って?!
※今思い出しただけでも恐ろしい・・・

正直、自分も旅に出たい心境でしたが、転職をしてようやく入り込んだ
ゲーム開発の現場であり、自分の企画をゲーム化する野望を簡単に捨てる
わけにもいかず、残されたデータを探りさぐり解析して何とか自分で
作成した物も含めて画面に出せる様になりました。

それからは、先輩デザイナーのKさんや他部署のデザイナーさんに
多大な協力をしてもらい、死に物狂いで突き進んで、半年後には
見事完成の日を迎える事が出来ました。

・・・本当に完成して良かった。
もし、あの時逃げ出していたら・・・きっと僕のプランナー人生は
終わっていたのでは無いでしょうか。

その後、最後のデータをプログラマーに渡し、無事、生管(生産業者に
生産を発注して問題ないかチェックをする部署)から内容のOKを
もらってのんびり気分をスタートしようとしていたのですが、
突然、業務用開発総責任者の部屋に来るようにとの連絡。

まさか・・・適当に済ましたキャラクターに物言いが入ったか・・・
それともROM容量があまったので、落書きで埋めたのがばれたのか・・・
そんな事を考えながら、緊張しつつ扉をノックして入室。

すると、そこには以前から尊敬していた隣の課のディレクターの姿が!
話を聞くと、「君はUP休暇に入る予定になっているが、その前に
現在開発中の商品開発に企画デザインで参画してみないか
」と言う
お誘い・・・チャチャチャチャ~~~ンす!!!!!!!

そのゲームはどんな物かといいますと、その会社の「看板ゲーム」
とも言えるシューティングゲームで、入社する前から「俺だったらこう
デザインするのに」だとか「こんなアイデアを盛り込んだら、絶対
ユーザーはハマるのに」と色々ネタを溜めていた、いわば入社動機と
なった、そんな憧れのゲームでした。

UP休暇なんてとんでもない!是非やらせてください!!と、
二つ返事で快諾をし、翌日から隣の課へ引越しをして、ユーザー時代の
思いの丈をぶつける毎日が始まりました。

ところがその課はお泊り禁止のエリート?チームだった様で、
今日泊まるだけでこの仕様を盛り込む事が出来るのでと、憧れの
ディレクターを口説き落としたり、時には周りの人を巻き込んで
オールナイト企画会議を実施したりと、本当にお騒がせしました。

数ヵ月後、80%程度完成したゲームは、なんと、元の課で完成させた
商品と共にダブルでAMショー(念願の)出展が決定したのでした。
皆さんピンっと来ないかもしれませんが、新製品でもブースの都合で
出展されない物も結構あり、初めての出展が同時に2つもされるのだと、
本当にうれしかったのを覚えています。

 
        -そして、ショー当日-

 
初日には、開場と同時にたくさんのユーザーが一目散に我々のブースに
押しかけてくれ、まさに黒山の人で、スタッフ一同人をさばくのに
うれしい悲鳴でした。

ところが、その当時、2種類のゲーム基板が搭載でき、ユーザーが
好きなゲームを切り替えて選ぶ事が出来る新型筐体というものにて
出展していたのですが、シューティングの前に開発したゲームと
そのシューティングが同じ筐体に入っており、開場前には同じ数だけ
プレイできるように設置したのですが、全ての筐体がユーザーによって
シューティングに切り替えられるといった現象が起こり、いくらがんばって
作っても、「ユーザーは正直」という現実の厳しさを味わったのも、
この時でした。

 
それから、数年間はなぜかシューティングの企画開発ばかり回って
来るようになり、シューティング三昧の生活を送っていたのですが、
そんなある日、遂にきました、ディレクターをやってみないかとのお話が。

・・・ところが、世の中そんなに甘い話は無いですねぇ・・・

さて、どんな困難が待ち受けていたのか?この続きのお話は、次回当番の
時に話したいと思います。

ではでは。

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